海外学会報告 ~ポルトガル~ 北市伸義(12号2007年5月発行)
リジュボーア 2006年9月19日から23日まで、ポルトガルの首都リスボンで第12回国際ベーチェット病学会が開催された。ポルトガルは日本では華やかな南蛮文化の担い手として知られているものの、その後の存在感は必ずしも大きくない。しかも本学会の9か月前から筆者は大野教授の講演準備で世界各国の132施設と連絡を取ったにもかかわらず、ポルトガルからのベーチェット病データはわずか1例のみ。「そもそも本当にポルトガルにベーチェット病はあるのだろうか?」といささか疑問を抱きながらの出発である。学会参加者は大野教授以下、南場、大神、金、北市の計5名であった。着いてみると事前の予想通り、英語が通じにくく何とももどかしい。リスボンも「リジュボーア」と発音した方が通じる。「ポルファボール(お願いします)」「アグア(水)」「ウノ(1)、デュエ(2)、テュリュエ(3)・・・」ふむふむ、アメリカに住んでいた頃に子供がスパニッシュの授業で習ってきて、少しだけ耳に残っているスペイン語はよく通じる。市内にある世界遺産・ジェロニモス修道院にはバスコ・ダ・ガマ提督が眠っていた。近くの「発見のモニュメント」の前に立つと「もしかすると何か大きな発見があるかもしれない」と根拠のない期待が膨らむ。 | |
有名な「発見のモニュメント」。 この学会でも大きな発見があるだろうか。 | |
学会発表のトピックス 疫学、治療から遺伝子検索まであらゆる分野で世界のベーチェット病研究をリードしつつある。ほかにはイラン、チュニジア、ドイツ、イタリア、韓国、日本、地元ポルトガルなども演題が多い。以下、特に印象に残ったトピックスを挙げてみる。 | |
有名な先生も多数参加。 筆者はロンドンのスタンフォード先生と討論中。 | |
(4)国際疫学と新診断基準 カサブランカのS.Benamourによれば、モロッコの1,034例のベーチェット病患者のうち実に22.7%が失明しているという。また、これまで疫学統計が不明であったフランスからはA.Mahrが人口10万人あたり7.1人と有病率を推計した。これはヨーロッパ一の多発国であるスペインの7.5人に近く、予想以上に多いと感じた。ただし、白人では2.4人であり、お隣イタリアの2.5人に近い数字である。一方で北アフリカ・中近東からの移民では29.8人と非常に高く、膨大な数の移民の流入が数字を押し上げていると考えられる。状況はドイツも似ている。N.G. Papoutsis によればベルリンでは人口10万人あたり3.6人と推計されたが、ゲルマン人の子孫であるいわゆるドイツ人の有病率は10万人あたりわずか0.5人程度にすぎず、一方トルコ人移民は15.7人であったという。やはりここでも大量の移民流入によってベーチェット病がヨーロッパで多発している現実が示された。眼科分野は地元ポルトガル・コインブラ大学のR. Proencaが担当した。提示症例は1959年生まれの白人女性。口腔内アフタ性潰瘍、皮膚症状、外陰部潰瘍があり、内科でプレドニゾロン10mg/日を使用したのちに薬剤をサリドマイドに変更した。大野教授はイギリスのM.Stanford、イランのH. Chams、北市との共同研究「ベーチェット病眼症状の国際共同研究」を発表した。全世界の25施設から1,465名分のデータを解析して報告したもので、眼症状の国際疫学調査としては史上最大規模であった。大きな反響を呼び、引き続き次回大会でも続報を宿題とされた。イランのF.Davatchiはベーチェット病の新診断基準を提案した。彼によれば現在の国際ベーチェット病学会の診断基準の「正確性」は現在使われている14の診断基準中、下から3番目であるという。「正確性」とは診断の「感受性」と「特異性」を平均したもので、彼の新診断基準を用いれば一気に1番目になるという。この提案を受けて議論は紛糾した。一番の問題は「新診断基準」では臨床研究で最も重要な「疾患特異性」が低下してしまうことであり、トルコのH.YaziciやA.Gul、ドイツのC.C. Zouboulisらとの1時間以上にわたる鬼気迫る大激論は結論を次回大会へと持ち越した。 | |
叙情的街風景 激しくも活発な学会討論のあと、夕暮れの街へ出てみる。天然の良港に恵まれた街の例に漏れず、リスボンも坂が多い。しかも古いデコボコの石畳で、平地育ちの筆者には歩きにくいこと甚だしい。ようやくたどり着いたケーブルカー乗り場は既に廃線になっていた。さすがのJTBもここの地図は何年も更新していないらしい。表通りから一本仲通へ入るとそこは昔ながらの中世の趣。平らな道などどこにもない細い通りの両側は石造りの同じ高さの家々が並ぶ。窓からただよう香りはバカリャウ料理だろうか。小路の石段に腰掛けてギターを弾く人、ちょっと寂しげな音楽、夜9時を回る頃にはファドの歌声とにぎやかな話し声があちこちから聞こえてくる。新大陸やインドからの交易品をガレー船から積み降ろししていた頃もさして変わらない雰囲気だったのではないだろうか。往来を歩く人は皆、煙草をくわえている。さすが500年前、新大陸からタバコをヨーロッパへ持ち帰った人々の子孫である。 ベーチェット病の最西端を目指す | |
ベーチェット病最西端の地、ロカ岬。 崖絶壁で西日が強く、 雰囲気はちょっと積丹半島似。 | |
終わりに 開催時期の9月という時節柄、皆スケジュール調整に苦労し、大野教授はロンドンから、南場先生はパリから、大神先生と金先生はフランクフルトから、北市はアムステルダムからバラバラにリスボン入りし、バラバラに帰国する慌ただしさであった。筆者自身は1998年のイタリア開催以来8年ぶりの参加であった。その頃はただ右往左往するばかりだったが、今回は大野教授のご高配でイギリスのM.Stanford先生、ポルトガルのJ.Crespo先生、イランのF. Davatchi先生、トルコのH.Yazici先生やI.Tugal- Tuktun先生、韓国のK.S.Park先生、チュニジアのM.Khairallah先生など、これまで名前しか知らなか った先生方のお顔を「発見」できたことは何にも代え難い感動であった。発見の国・ポルトガルの次は2008年にオーストリア、次々回2010年はイギリスで開催される。次は どんな感動が待っているのだろうか。 | |
今回参加の4名。左から南場、大神、北市、金の各先生。 ここジェロニモス修道院内の教会には バスコ・ダ・ガマ提督の棺があり、 「学問上の大発見」を祈願。 |