3代目教授 杉浦 清治
Seiji Sugiura
昭和41年6月に東京大学助教授から、第3代教授に就任する。このころから、ぶどう膜炎の研究が開始されて、教室から世界的な研究成果が次々と発表されている。今日のぶどう膜グループの基礎を築いた先駆者である。
原田病患者で起こる輪部結膜の脱色素は、「スギウラサイン」と知られているが、このスギウラとは杉浦清治先生のことである。
この時代に視神経グループ、ぶどう膜グループ、電子顕微鏡グループの3つの専門分野に別れ、今日の専門外来へとつながっている。
昭和53年3月に定年退官し、国立函館病院病院長に就任した。
現在、優れた業績をあげた若手医局員に与えられる杉浦賞は杉浦教授を記念して創設された賞である。