退官にあたって ~御礼とご挨拶~ 大野重昭(14号2008年8月発行)
1.はじめに このたび、私は感覚器病学講座眼科学分野教授を定年退職いたしました。在職中は北大眼科同門会の皆様方を始め、多くの先輩、同僚の皆様方、そして北海道眼科医会の諸先生、また全国の多くの皆様方に大変お世話になりました。ここに改めまして深甚なる感謝の意を表するものでございます。 2.医学部学生時代 私が北海道大学を卒業する前後は、大学紛争という大きな嵐が全国に吹き荒れておりました。このため、昭和45年3月には北海道大学では卒業式も行われず、私ども46期生は各自がばらばらに医学部に出向き、事務の窓口からポンと卒業証書を渡されるという、なんとも味気ない卒業風景でした。したがって当時は卒後カリキュラムなども全国的に統一されたものはなく、我々は1年間の独自な自主ローテートプログラムを組んで将来の専門領域の選択に備えたものでした。現在実施されている卒業前の全国一律のマッチングシステム、卒業後2年間の必修臨床研修制度、さらには3年目の後期研修制度を思うと、まったく隔世の感があります。 | |
卒後1年目に上砂川炭鉱病院外科で 研修していた頃の写真 | |
3.北大眼科入局 当時の医学部卒業生は非常にメジャー科への志向が強く、私の同期生もほとんどが内科、外科、小児科、整形外科などを志望しておりました。その分、眼科を含めいわゆるクラインな科にはほとんど希望者がおりませんでした。私は医学部5年目までは精神科医を志しておりましたが、実習時に自信をなくし、その後は外科医を志して卒業後の自主ローテートで外科系を中心にいくつかの科で研修させていただいておりました。ところが麻酔科をローテート中に眼科の麻酔を担当する機会が時々あり、このおりに繊細な眼科手術を直接目の当たりにして、その奥深さに強く心を打たれました。 また、二神種忠先生のご助言もあってローテートプログラムの最後の3ヶ月を眼科研修に変えてもらいました。当時は大学紛争で北大病院での眼科研修ができなかったため、北大眼科杉浦清治教授のご配慮で、国立札幌病院眼科で3ヶ月間見学、研修をさせていただきました。この3ヶ月が3年になり、さらには30年以上になり、私が眼科医として生涯をすごすようになるとは自分自身、まったく思っておりませんでした。また、46期生では結局私がただ一人の眼科医となった訳であります。 眼科に入局後は杉浦清治教授、青木功喜医局長から(1)臨床的に高頻度なよく遭遇する疾患と、(2)比較的稀な疾患をそれぞれ1つづつ得意分野とし、2つの専門領域を持つようにご指導をいただきました。これがきっかけとなって、私は非常に頻度の高い角結膜疾患、外眼部疾患と、比較的症例数の少ないぶどう膜炎、内眼炎に取り組むことになりました。しかも、両先生のご推薦で昭和49年9月から昭和51年8月までの2年間、留学させていただいたカリフォルニア大サンフランシスコ校眼科学教室は、この両方の分野での世界的権威がたくさんおられ、益々自分の興味を伸ばすことができたのはとても幸いでした。 4.アメリカ留学時代 カリフォルニア大学に留学後、私は動物実験に加えてヒトのサンプルを用いた眼科臨床免疫学研究にも従事することになりました。しかし、私はアメリカでの医師免許を持たないため、患者さんから検体を採取する時には必ず誰かに依頼する必要があり、とても非能率的でした。このため、自分でも診察や採血が自由にできるようにと一念発起し、ECFMG ( Educational Commission for Foreign Medical Graduates ) 受験準備を始めました。毎日、日中の眼科での実験、研究を終えると、夜は図書館で内科や外科、産婦人科、小児科など、学生時代の勉強の総復習です。北大医学部を卒業後既に4年を経過しており、改めての受験勉強、しかも英語の教科書による復習はつらいものがありました。しかし、数ヶ月後には無事に筆記試験、そして英語口頭試問をパスし、臨床現場での診療、検体採取も自分の思うように自由にできるようになりました。 毎週ぶどう膜炎外来、角膜外来、その他の特殊外来診療に従事するとともに、手術室にもたびたび入って直接アメリカの臨床眼科学を学ぶことができたのは、私にとっては本当に有意義な体験となりました。 | |
留学時代の写真 | |
5.北大眼科 帰国後、私は杉浦清治教授をリーダーとして、当時の北大眼科学教室が全力を注いでいたベーチェット病やVogt.小柳.原田病などのぶどう膜炎の臨床および基礎研究に従事しました。特に当時の第一病理学講座の故板倉克明助教授、故相沢幹教授をはじめ、免疫遺伝学グル ープの皆様には本当に色々なご指導をいただき、世界最先端の共同研究をさせていただきました。また、結核研究所の森川和雄教授、そのあとの小野江和則教授(同期生)のラボにも大変お世話になり、現在でも実験のご指導を仰いでおります。 この間、ベーチェット病の世界疫学分布調査のために、故和田武雄札幌医科大学学長にお願いしてジェッダ(サウジアラビア)のキングアブドゥルアジズ医科大学客員教授にご推薦いただき、現地での診療や学生教育に従事した時期もありました。また、文部省在外研究員としてカリフォル ニア大学サンフランシスコ校プロクター眼研究所に2回目の留学をさせていただき、大変充実した毎日を過ごさせていただきました。 6.横浜市立大学 | |
世界各地で様々な患者さんを診察 | |
7.患者取り違え事件 ただ一つ残念な出来事は、平成11年1月11日という新年が明けて間もない月曜日に、横浜市立大学病院手術室で外科手術の患者取り違え事件が起きてしまったことです。私はその頃、手術部長を兼任しており、当時の病院長、医学部長とともに大きな責任を問われました。患者取り違えを未然に防ぐ4重、5重の関門があったはずなのに、これらをすべてくぐり抜け、心臓手術を受けるはずの患者さんと、肺の手術患者さんがどうして取り違えられたのか、病院側の管理責任は多大なものがありました。 その後しばらくは病院の安全管理体制の再構築に全病院を挙げて大きなエネルギーを注いだことはいうまでもありません。この不幸な事件を通して、私は医療安全管理学という新しい学問領域の重要性を再認識した次第でございます。 8.北海道大学大学院 9.おわりに |